「シュレーディンガーの猫」を一般人に説明する試み

 ミクロな事象を厳密に予測することはできず、確率でしか言えない。
 そうした可能性が全て同時に起きて干渉し合っていると見做さないと説明できない現象がある(二重スリット実験における干渉縞等)。状態の重ね合わせ。
 どの可能性を途中経過として辿るのか観測するとその干渉縞は消えてしまう。状態の収縮。
 「シュレーディンガーの猫」は、部屋の中にある粒子と検知器と毒ガスがあり、粒子がある状態になったのを検知器が感知したら毒ガスを流す、という仕組みである。粒子がある状態になるのは確率でしか言えず、量子力学的にはそれは同時に起きていると見做すことになる。「それは毒ガスが流れ猫が死んだ状態と毒ガスが流れず猫が生きている状態が重ねあっていることなのか?」というのが「シュレーディンガーの猫」の問題意識。
 「観測」すると状態が収縮するというコペンハーゲン解釈だと「人」「猫」「検知器」「粒子周辺の空気」どこまでを観測者と見做すかという問題が生じる。極論の「人間が部屋を開けて猫を確認するそのときまで重ね合った状態だ」とする説がオカルト的でよくSFの題材に使われる。人とそれ以外の生物、生物と機械、機械と物質、どこで線をひくか。
 最近は、コペンハーゲン解釈より多世界解釈の方が多数派らしい。しかし飽くまで解釈であり、実用的な計算にはどちらの解釈でも差が出ないので深く考えるべきことではないのかもしれない。